雪見&大福からごあいさつ
私たちのブログにご訪問頂きありがとうございます。
こんにちは、大福です。
平成28年1月に私たちがブログを立ち上げた理由。
また、これからこのブログをどう発展させていきたいのか
皆さまに知って頂きたくプロフィールを作成いたしました。
まずは雪見&大福の雪見の自己紹介です。
雪見プロフィール
こんにちは、大福の妻、雪見です。
私は昭和34(1959)年6月生まれの59歳です。
干支は猪
血液型はA型
現在の職業は介護職で訪問介護員の仕事をしています。
私が産声をあげたのは兵庫県尼崎市、
幼い頃は両親の出身地である鹿児島県、親戚がいた東京と、転々としましたが
現在は大阪に落着き大福とくらしています。
物心ついた時から母と2人暮らしでした・・
両親は私が1歳の時に別れており物心ついた時から母と二人暮らしでした。
幼い頃は父がいないことに疑問を感じていませんでしたが
学校に行き始めてみんなと違うことを思い知ることになります。
今と違って片親は珍しかったのでしょうね。
父がいない事を理由にいじめられたりしました。
それからすぐに母が再婚(内縁の妻)して私に新しい父が出来ます。
母の再婚・しかし
でもその人は父と呼ぶにはほど遠く
ギャンブル、酒、挙句は暴力で母と私を苦しめることになるのです。
家計の足しにと新聞配達を始めたのは小学校3年生からでした。
でも全然足りません。
わずかなお金は父のギャンブル代へと消えていきました。
当然いつもお金がありません。
食べるものがない、いつも同じ服、遠足にも修学旅行にも行けない・・。
貧乏はいやや
お金があれば
お金さえあれば
貧乏はいやや
ずっとその思いを抱えていました。
そんな生活は私が中学2年生の1月まで続きました。
その日、母が「早く荷物をまとめろ」と言います。
えっ、もしかしてまた逃げるの‥
今まで逃げてもすぐに見つけられ連れ戻されていました。
ついに解放されました!
でもその日を境にやっと父から解放されたのです。
あの時の嬉しさは今でも忘れられません。
もうこれでいつ殴られるかとビクビク怯えて暮らさなくていい!!
あの日から母と二人で働き何とか人並みの生活が
出来るまで数年かかりました。
その間、母に心配をかけたこともありました。
その頃に流行っていたディスコで朝まで踊っていたり
何日も友達の家に入りびたり家に帰らなかったりと
いわゆるグレるというやつです。
でも私はいつも考えていました。
絶対にお金を稼ぐ!
そしてお母ちゃんにいつかは楽をさせてあげたい。
その為には?どうする?
学歴も何もない自分にいったい何ができる?
はじめて覗いた大人の世界
そんな時、働いていたお店のご主人が
社会勉強だと言って近所のスナックに連れていってくれました。
16歳のころだったと記憶しています。
私にとっては初めてみる大人(おじさんとおばさん)の世界
お酒を呑みながらマイク片手に歌っている人
みんな笑ってる。とっても楽しそう。
そのとき私に目標が出来たのです。
お店を持とう。
30歳までに必ず自分のお店を持つんだ!
ミナミのラウンジで働き始めます。
その後バスガイド
珈琲専門店でのウェイトレス、厨房内の仕事を経験し
24歳の時に知人の紹介にてあるお店で働くことになります。
そこは大阪ミナミのラウンジでした。
仕事は考えていた以上に厳しいものでした。
いろいろなお客様が来られます。
接待で利用される方
プライベートで来られる方
ひとりひとりに合わせた接客の大切さを学びました。
お店を持つためには何をするべきか
お客様の心をつかむにはどうすればいいか
人と同じことをしていたらダメだ
小さなことから始めました
店に置いていない
珍しいタバコを吸っている方がいらしたら先に買って用意しておく。
「よく覚えててくれたね」
ちょっとしたことで喜んでくださいます。
そして名刺を頂いたら必ず特徴、
お客様のお好みのものからその時の会話内容等を記載して
次のご来店につなげるetc
頭の良い人はそんなことしなくてもよいのでしょうが、
記憶力がない私はそこからのスタートでした。
お給料は全て母に預けその中から母が貯金をしてくれました。
着々と資金が溜まっていきます。
自分で管理していたら無駄遣いをしていたかもしれません。
その後2軒のお店を経て
目標の30歳まで後3ヶ月に迫った時
手ごろな物件の話がやってきたのです。
そのとき私が思った事
願い続ければ夢は必ず叶う
ついに自分のお店をオープンしました!
時代も良かったのでしょう。
バブルに陰りはありましたが世の中はまだ好景気に湧いていました。
開店したお店は着実に売り上げを伸ばして行きました。
そして33歳になった時
長い間の昼夜逆転生活に疲れた私は、夜のお店を従業員に託し
引退することを決めたのです。
そして新たに鉄板焼き屋を開店する計画をたてます。
でもそこから私の人生が再び下り坂になっていくのです。
夜の世界から引退し新しいお店をはじめましたが・・。
開店したお店は一度も利益を上げることなく
1年で閉店。
また初めからやり直しと日本料理の接客の仕事をしながら
残った資金を少しでも増やすべく投資信託に預けます・・。
お店は閉店・・そして・・
しかし数年後リーマンショックで増やすどころか減らしてしまうことになるのです。
その時は文字通りショックで眠れない夜が続きました。
母を楽にしてあげたい思いで一生懸命稼いだお金。
お金の大切さを誰よりも知っていたはずなのに。
こんな筈じゃなかった。
その後、49歳まで接客の仕事を続けました。
いつかチャンスは巡って来ると信じていました。
だけど心の中では諦めていなかった。
いつかチャンスが巡ってくるはず。
現在の夫、
大福との出会いはその数年後になります。
大福との出会い
若い頃から私の選択肢に結婚の二文字はありませんでした。
母の苦労を見てきたので
自分も母の二の舞になるのではないかとの恐れと一人のほうが気楽だしと
考えるのを避けてきました。
でも大福との出会いで考えが変わりました。
とても優しい人で私の母のことも大切にしてくれます。
遅い出会いではあったけど
結婚して良かったと心から思っています。
心の平安
経済的自由
やはり両方大切だと思います。
世界一の長寿国日本
現在、週4度訪問させて頂いているお宅の
ご婦人は今年で96歳になられます。
昔、教鞭をとっておられたそうですが
お元気で頭もクリア、その方がいつも仰います。
「雪見さんはまだまだ若いから人生これかやね」
最初は「もう若くないし、おばさんやし」と心で返事をしていましたが、
考えてみると確かにこのご婦人の年齢になるには
あと37年もあります。ホントだ!まだまだ先が長い!
おっしゃるように人生これからだと思えるようになりました。
いつかチャンスが巡ってくるはず。
大福はネットショプを運営中。
わたくし雪見は只今アフィリエイト実践中!
両方とも正しい方法で行えば利益を得ることができる。
学歴も年齢も関係ない。
もう歳だからと諦める必要はないのです
そして、自分が実際に行ってみて
確かに利益を得ることができると確信しました。
この先、年金だけでは心もとない
いえ、その年金さえ当てに出来ない時代がくるかもしれません。
その時に慌てないですむように役立つ情報を発信していきたいと考えています。
雪見
大福プロフィール
雪見の夫、大福です。
私は昭和42(1967)年11月生まれの50歳です。
干支は羊です。 血液型はA型
現在の職業はヘルパーステーションで
サービス提供責任者として働いています。
時々デイサービスの手伝いもしています。
大阪生まれの神奈川育ち
私が生まれたのは大阪府吹田市
生後まもなく父親の転勤で神奈川県の川崎市、鎌倉市で過ごしました。
牛乳やチーズが大好きで
いつもパッケージの牧場のイラストを眺めては
「いつか北海道に住むんだ!」と両親に言っていました。
しかし8歳のときに祖母が亡くなり
祖父と同居することになり
生家の大阪府吹田市にもどりました。
神名川育ちのため言葉が標準語しか話せなかったので
転校した大阪の小学校でよくからかわれました。
そのせいか大阪は出身地ですが
あまり好きではありません。
祖父の介護体験
その後祖父は脳梗塞になり身体は多少不自由になったものの
元気で過ごしていましたがやがて認知症になり徘徊をするようになりました。
当時は社会の理解もなく、現在のような介護サービスは全くといってよいほどなかったので
家族全員で介護しました。そのうち祖父は寝たきりになり
大福が中学生のときに自宅で亡くなりましたが、ほんとうにあの時期は大変でした。
鉄道で働くようになります。
そして
工業高校を卒業後大阪の私鉄に就職し
駅の改札や放送係、車掌として5年間勤務していました。
大人になっても言葉のアクセントが関西弁とは微妙に違ったようで
上司から「アナウンスの駅名のアクセントが違う」と指導を受けました。
その後バブル絶頂期にJRに転職します。
当時、鉄道業界は人手不足で同業者間の転職者も少なからずおりました。
そして岡山県に転勤となり運転士として9年間乗務していました。
はじめての一人暮らし
岡山では初めて車を買ったり、一人暮らしを始めたり
スキューバダイビングやフィットネスクラブへ通ったり
また先輩や同僚と一緒に、
やがて一人で飲み屋やスナック、
居酒屋で飲み歩くことが多くなりいろいろな方と知り合い
毎日の生活が大きく変化しました。
また職場にボランティア活動に熱心な後輩がおり
彼と一緒に日赤や老人ホームでのボランティアにも参加しました。
子供の頃の祖父の介護生活とも重なり
このことがきっかけで介護に興味を持ち、
介護福祉士になりたいと思うようになりました。
そのときすでに32歳でしたが、今が最後のチャンスだと思い
2年制の介護福祉士養成校に進学する決意をします。
そして子どもの時の夢であった
「いつか北海道に住む」を実現するため
札幌の養成校へ進学することにしたのです。
乗務員の勤務は泊りもあり不規則でしたが
その合間をぬって参考書を買い勉強しました。
飲み屋で知り合った学校の先生に小論文を添削してもらったりして
そしてめでたく
あこがれの北海道・札幌での生活
憧れの北海道、札幌での生活がはじまるのです!
本当に見る物聴くもの全てが新鮮で楽しい毎日でした。
あっと言う間に2年間が過ぎ介護福祉士になった大福は
函館の社会福祉法人に入職します。
amazonとの出会い
そして大福は函館でAmazonと出会うのです。
TVで見たアル・パチーノ&ロバートデ・ニーロ主演の
「HEAT」
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新品価格 |
とてもカッコイイ2人を見て
「この映画のDVDがほしい!」と思いはじめてAmazonで購入しました。
それがきっかけでAmazonでDVDをポチポチ買うようになりました。
そんなある日、Amazonにサインインすると不思議なメッセージが表示されるようになるのです
「大福さんあなたがAmazonで購入したDVDを販売すると○○万円になります!」
意味がわかりませんでした。
しかしその時期だったのです!マーケットプレイスがはじまったのは
(当時Amazonは日本中の古本屋に電話をかけ
「マーケットプレイスに出品しませんか?」と営業をしていたそうです。
そんなある日、たまたま立ち寄ったBookOffで
中学生の時、映画館でみた西ドイツ(当時)映画の「Uボート」
![]() ![]() ![]() ![]() |
Das Boot (Uボート ディレクターズ・カット) [DVD] 中古価格 |
この映画のDVDが500円だったので購入しました。
帰宅後
何気にAmazonで確認すると・・
このDVDは当時絶版で中古品が20,000円だったのです!
所謂、俺様プライスだったのでしょう
でも大福には理解できませんでした。
「500円で買ったものが20,000円で売られている?」
翌日、
また同じブックオフに行き大福は店長さんに
「昨日ここで500円で買ったDVD、Amazonでみたら20,000円だったんです」
すると店長さんは笑顔で
「そういうの結構あるんですよよく探してくださいね!」と答えてくれました。
(今では信じられない会話ですが・・)
しかし当時の大福はマーケットプレイスが誰でも販売できるとは思わず
そのままになっていました。
今思えばなんてもったいないことでしょうか・・・・。
そして転職、引っ越し
その後大福は他の町にも住んでみたいと思い
北海道中央部(道北といいます)の社会福祉法人へ転職し
函館から引っ越しました。
風光明美で有名なこの町でもすべてのことが新鮮でとても楽しい毎日でした
ただ一つ、
給料が安いことを除いて・・
当時40歳目前の大福の給料は家賃を払うと10万も残りませんでした。
ヤフオクをはじめました。
この町が大好きだった大福は、なんとしてもこの町に住み続けたい
そのためには少しでも収入をふやしたいと思い
ヤフオクでの不用品販売をはじめるのです。
ヤフオク!での不用品販売だけでなく
知り合いが「オークションっていらない物売るんだべ?
うちの倉庫片付けっからいらないモン持って帰ればいいべや」
と声をかけて頂いた時は倉庫の片付けを手伝い、譲り受けた物を出品したりしていました。
せどりとの出会い
そしてその時期にネットで「せどり」と言う言葉を知るのです。
「本やDVDをBookOffで仕入れてAmazonで売る」
やってみようと大福は思いました。
まずは自宅にある読まなくなった本や見ていないDVDを出品しました。
すると、けっこう売れるのです。
ヤフオク!と違い連絡や入金確認の手間もないAmazon での取引は大福にはとても魅力的でした。
やがてBookOffへも車で1時間ほどかけて旭川へ仕入れに行くようになるのです
当時はガラケーでISBNを入力し
価格差とランキングだけが頼りの仕入れでした。
ネットでは「1万冊出品したら、1ヶ月の利益は10万になる」と言う法則が
まことしやかにながされていましたが、わずかなBookOffしかなかった旭川では仕入れもままならず
そして、仕入れた本もあまり売れ行きは芳しくなく・・
そのとき大福は思うのです。
「自分で本の買取をすればBookOffで仕入れるより安く買える!」
そう思った大福は古物商を取得することを決意するのです。
古物商を取得し、買取をはじめます。
大阪の本籍地の市役所から必要書類を整え
法務局にも必要書類をもらいに行き申請のため旭川東警察署へ
チンプンカンプンなことだらけだったので
担当の警察官にいろいろ質問すると
「そんな質問よりさっさと書いたらいいから」
と言われ特問題もなくスムーズ認可されました。
まずは友人間で買取を行いかなり在庫数を増やしました。
そんなとき、町の商工会の広報紙で観光案内所の横のスペースで
出店をすることができるという記事をみて「そこで本を売ったらどうだろう?」
と思いすぐ申し込みました。
本の出店?
大福が申し込んだその日はとても天気が良く
観光案内所の隣にタープを張り借りてきた机の上に本を並べます。
さぁ開店です
ドキドキ
隣の道の駅に観光バスが入ると何人かのお客さんが
「何かある」といった感じで見にきました。
「本の出店なの?、北海道にはこんなのがあるんだ」
(いえ大福だけだと思います)
「バスの中が退屈だから」と数冊まとめて購入されるお客さんもいます。
ひと段落して回りを見回すと
大福と同じようにお店を出している人たちもいます。
ほとんどが飲食関係でしたがその方たちの交流もとっても新鮮な体験でした。
(デジカメの破損でそのときの写真が残ってないのが残念です)
そして大福は思うのです
「いつかこの町に古本屋を開店してそして出張販売車を作って
イベントで本の出店を出すんだ!」
肝心のせどりでは全く利益も上がってないのに夢だけは大きく広がります。
しかしその後も利益は上がることなく
本業だけの収入では生活は苦しいばかりです。
そんなときです。大阪の実家から一本の電話が
父の難病
父が難病だという知らせでした。
父は入退院を繰り返していましたが大きな手術をしなければならくなり
その後はずっと食事の制限が必要でリハビリや通院もかなりの頻度になるとのことでした。
誰かが同居をしなければならくなり、
一番お気楽な生活をしていた大福がその役目を引き受けることになったのです。
たくさんあった在庫をBooKOffに売却に行き
店員さんには
「出張買取もしていますからまだあったら連絡ください!」と言われました。
古物商も警察に返納しました。
(古物商は、変更などの手続きのすべてを交付を受けた警察署で行わなければならず
大阪にいても何か手続きの際は旭川までこなければならないため、それに、もうせどりもしないだろうと思って返納しました。)
そして
旭川空港から大阪へ戻りました。
大阪での暮らしは・・
父との生活
仕事
それだけでした。
父がショートステイで施設にいるときは
昼夜と飲み歩き
ここでも、いろいろな方と知り合いました。
その中の一組のご夫婦が大福と雪見を引き合わせてくれたのです。
時を同じくして
父の病状が悪化
春先から入退院を繰り返すようになります。
そんな中、病院で父に雪見を紹介しました。
40歳を過ぎても一度も結婚していない大福のことを昔は心配していた父でしたが
とても嬉しそうでした。
症状は一進一退でしたが大福も父の車椅子を押して病院のそばで花見をしたり
このまま父も回復するかも?と期待を持つようになります。
父との別れ
しかし、父の病状は悪化
大福も毎日病院に泊り込み病院から仕事に通う毎日
症状は回復することなく、やがて意識もなくなり・・そのときはもう8月でした。
外来がお盆休みになる前の日の夕方のことです。
外来でお世話になったいた先生が、帰る前に父の顔を見にこられました。
意識のない父の顔をじっと見つめられ
「あしたからしばらく休むからお顔を見に来ました」
と声をかけられて帰っていかれました。
その翌朝からです。
以前父の担当をされていて他の病棟に転勤になった看護師さんが夜勤明けにこられ
父の手をとり「○○さん・・」と泣いておられました。
大福はそのときはじめて
「父はもうすぐ死ぬんだ」
と理解しました。
他にも転勤された看護師さんが何人か夜勤明けで父の顔を見にこられました。
ふと気づくと廊下には赤いカートが置いてありました。
職業柄、それが何を意味するか大福は知っていました。
数日後、仕事中に姉から
「少し用事で抜けるから病院を変わってもらえないか?」
と電話があったため早退して病院に行きました。
病室に入り父の表情を見るといつもより穏やかでした
「良かった、今日は落ち着いている」
そう思ったときでした。
ものすごい勢いで病室のドアが開き赤いカートと看護師さんがなだれ込んできました。
驚いている大福の前で看護師さんが心臓マッサージを始めたのです。
ステーションのモニターでは父の異常を知らせていたのです。
すぐに主治医や他の医師も駆けつけ
「大福さん残念ですが・・」と
その後しばらくの間大福は多きな喪失感を味わいました。
上富良野町から見た十勝岳です
雪見との暮らし
でも、そんな大福を優しく支えてくれたのが雪見でした。
その後しばらくして大福は雪見と結婚しました。
雪見との生活はとても楽しく充実しており
そして、大福は
「いつか自営業になって雪見と2人で仕事をしたい!」
と思うようになるのです。
それ以降のことは雪見プロフィールと同じになります。
最初はせどりから入った大福でしたが、
現在は自分でネットショップを2件運営しています。
まだまだ未熟なブログですが、有益な情報を提供できるよう努力してまいります。
何か疑問に思ったこと、またはお気づきの点がございましたら
ご遠慮なく
お問い合わせください。
長いプロフィールを最後までお読み頂きありがとうございます。
今後とも、私たちのブログをよろしくお願いいたします。
雪見&大福
最後までお読み頂きありがとうございます!
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